「内申点制度はいらない」と私が考える理由【個人塾経営にっき】

こんにちは!おかだやすのり@jukkeieiです!

宮城県の高校入試において、前期入試を受験できるのは出願資格を満たした生徒のみです。

第一志望の出願資格に内申点が足りない生徒には選択が迫られます。

①志望校を落として、前期入試を受験する。
②前期入試を受験せずに、後期入試にかける。

以前も書きましたが、ここで「①志望校を落として、前期入試を受験する」を選択したくなる気持ちってすごくわかります。
その記事は下から!

【高校受験】志望校を下げようと思ったときに考えなければいけないこと

2016.11.21

だって前期で合格すると、受験期間が1ヶ月も縮むわけですから。

裏を返せば、内申点をしっかりとっていないと、高校入試ではかなり追い込まれるということで、2回勝負できる人と、1回勝負しかできない人に分かれてしまいます。

しかも、前期試験の出願資格になるだけでなく点数にも加点されます。
割合は学校によって異なるものの、総合得点の3割〜6割が内申点です。

受験において内申点は非常に重要な要素であるということが言えます。

したがって、内申点っていうのはさぞ厳密に決めているのかと思いきや、意外とそうでもない。

先生の主観によるところが大きいです。
先生だって「意欲、関心がある」なんて項目作られちゃったら、主観で決めるしかありません。

私は内申点っていうシステムはもう時代遅れで、いらないものだと思っています。

今日はそれについて私の考えを書いて見たいと思います。
内申点が必要だという方の意見や内申点に関する別の視点も知りたいので、ツイッターやフェイスブックなどでも教えていただけるとありがたいです。

基準があまりにも曖昧すぎる

私の塾に通っている中学校3年生で6月の定期テストの点数が5科目で250点の生徒がいます。
この子は11月の定期テストで点数を爆上げして、400点をとりました。

頭のキレは悪くないし、努力ができる子なので、ちょっと環境を整備すれば上がるよねという感じでした。
でも、その子の内申点は6月→11月でたったの「1」しか上がっていないんです。

「点数関係ない」って言われているようなものですよね。
では何によって決まっているのだろう?
授業の態度?積極性?
それらによって何点分下がったんだろう?
何が良くなればいいんだろう?

そのどれもが曖昧です。

彼は教師の頭の中にある「今までの彼」から脱却することができませんでした。
もう250点の男として認識されてしまっていたとしか思えません。
その生徒の努力を知っているからこそ、悔しいです。

生徒のキャラクターは様々あります。
中にはまだ未熟ゆえの愚かしさが見えることもあります。
何も知らないくせに知ったような口を聞く子供を見て、大人は時に腹を立てますが、教師はそれも踏まえて評価しなければいけません。
「好き」「嫌い」で子供を分けるのは、人間だから仕方ないにしても、それを点数にすると話が変わってきます。
人間性に点数はつけられません。

生徒は内申点を人質に取られている

宮城県には上位の私立高校が少ないです。
首都圏なら、内申点が高くない生徒でも学力一発で入学できる私立があるため、内申点という枷にとらわれずに中学校生活を送るという選択肢もあるわけです。

しかし、地方にはそれがあまりありません。
私立は基本的に公立高校より偏差値が低くいか、特待生クラスのように飛び抜けているかのどちらかです。

特に地方の中でも田舎だと、通学の範囲も限られてくるため、もっと内申点の枷が重くなります。

田舎の子供にとって「内申点下げるぞ」は身をこわばらせる魔法の言葉なのです。
「進学」の際に、内申点なんて関係ない!自分の好きなことやって好きな高校に行ってやる!という選択はほぼ不可能です。

進学をしたい子供は、「良い子になる」必要に迫られてしまうわけです。
しかも「良い子」の基準がまた曖昧なんですよね。

たとえば、部活強制加入なのは理不尽だ!という意見を持つ子がいたとして、先生に伝えたとします。
多分これって内申点下げられる事案ですよね。
でも、私から見た良い子って、むしろそういう意見を持つことができる子です。
「理由はわからないけど、先生がそう言っているから」っていう理由でルールを守る子が良い子とは思えません。

ただ、それは「私から見たら」ってことで、それが普遍的だとは思いません。
つまり「良い子」と思うかどうかなんて結局主観でしかないということです。

自分が発揮する「良い子」は生徒によって千差万別なはずなのに、「相手の思う良い子になること」を要求するのは、目的とずれてしまっているように思います。

内申点を上げるには「良い行いをする」だけでなく「見せる」必要がある

良い行いをすることは決して否定されるべきことではありません。
でも、そこに内申点が絡んでくると、「良い行いをする」だけでなく「見てもらう」必要に迫られます。

アピールのうまい子と下手な子がいることは間違いありません。
でも、アピールをできる方が優れているということはないはずです。

また、「良い行いを見せる」というのは、裏を返せば「悪い部分は見せない」ことでもあります。
中学生の子供ですから、未熟な部分や自己中心的な感情が働いたりすることはありますし、それが自然です。
ただ、それを教師の前では見せられないとなると、二面性を持つ必要があります。
先生の悪口を影で言っている子供って多いですよね。

大切なのは、生徒の不満や疑問に正面から向き合うことだと思います。
教師の目の前で起こることだけを美しくしたところで、教育的な効果があるとは思えません。

集団行動の答えを見つける時代は終わっている

教育改革実践家の藤原和博さんの言葉に印象深いものがあります。
実際に行われた講演の一部を抜粋します。

 20世紀の高度成長期は1997年に終わった。つまり成長社会から成熟社会へ。日本では1998年から15年間、成熟社会が続いている。今後15年ほどでその成熟はさらに深まるだろう。国家が後ろに引いて個人が前へ出てくるという、ヨーロッパのような世の中になると僕は確信している。
成長社会では皆一緒という感覚が強く、幸せの定義もだいたい同じだった。1+2は3で、2×3は6。たとえば5人の前でひとつの事象が起きたとき、だいたいにおいて5人とも「これはこういうことですね」と、同じものを見ていた。そうした時代には正解があるのだから、それを当てれば良かった訳だ。だから戦後日本の教育は一貫して正解主義だった。
それが成熟社会に入るとどうなるか。皆さんが今味わっている通り、正解がひとつなんていうことはない。ビジネスの局面でも「1+2は3で決まり」なんていうことはほとんどない。そうした時代には状況に合わせながら、自分の知識、技術、経験のすべてを組み合わせて最適解を見出さなければならない。自分自身の力だけでなく人の知識、技術、経験も手繰り寄せることの出来る人、すなわち繋げて考えることの出来る人が勝つ。

簡単に言えば、成長社会において求められていた「行動の正解を導く」という考え方は、もう通じないよねということです。

戦前において、学校は兵隊を育てていました。
そこでは集団行動の中で和を乱さないことが求められました。
それが戦場で生きる最も重要な要素だったからです。

でも、現代社会では従うだけの人間はどんどん淘汰されていきます。
個人で何ができるのかをしっかりと見つめなければならない中で、内申点にとらわれるなんて馬鹿らしいように思うのです。

相手の顔色を伺う。
空気を読む。
模範行動をとる。

それらが求められる時代はとっくに終わりを告げています。

まとめ

受験が近くなってきたので、内申点について書いて見ました。
私の意見は「内申点なんていらない!」です。

でも、現実には内申点を取らなければ合格することはできません。
内申点が現実にある以上、それに対応して高校受験をしなさいと教えています。

内申点に不貞腐れて何もしないのでは面白くありません。

それに内申点で全てが決まるわけではなく、学力勝負の部分も残っていますからね。

あと、学校の先生が悪いわけじゃないってことも大切です。
学校の先生だって、主観でしか決められないようなことを強いられているわけですから。
もちろんそれにあぐらをかいているような教員は論外ですけど。

ではまた!

7 件のコメント

  • 内申点は「一律した努力を評価するもの」の評価基準に透明性があればいいですよね。
    減点方式ではなく、加点があれば、主様の問題提起もクリアになるのではないでしょうか。
    成績ー5pt(授業に遅れた)-5pt(提出物を忘れた)+0pt(提出物が画期的だった)+0pt(授業での発言が画期的だった)
    となっているようで、教職員が気に入らなかった(教職員の匙加減)生徒の評価に公平性はないとしか。
    不適切な教職員が跳梁跋扈している昨今、内申点の評価方式の公平性を示してもらいたい。
    「ある教職員は人間的に問題がある」→「生徒、対抗措置をとる」→「内申減点」
    こんな内申点に公的秩序はない。
    ただ、通常本当に努力している生徒もいるため、一度点数を取ったからといって完全に同じ土俵で評価することはおかしい。
    極論だが、服役したことがある人間が退役後、一度福祉に従事したことがあるからといって、一般と同等の評価は得られない。
    したがって、
    「教職員は、「5」でない理由についての具体的かつ定量化された詳細を生徒に求められれば提示しなければならない」
    これを破ったものは、即懲戒、こんな内申点ならいかがでしょうか、主様。

    • コメントありがとうございます!

      透明性は間違いなく必要ですよね。
      せめて学校の内申点の平均から中学校ごとに調整が入らないと、不公平感がぬぐえません。

      教育全体は定量化できるものではないにしろ、できるだけ定量化する努力は必要に思います。

  • 内申は意味が無いと思います。特に、絶対評価になってからは、5なんて取り放題です。
    また、福岡県の某地域トップ公立に合格しましたが、内申が足りなくても(受験目安40に対し、受験者内申36〜38)合格した子がたくさん居ます。
    中学からは、内申不足で受験を強く止められていました。
    逆に、内申はあったのに、塾の模試がずっと悪く当日点も取れなかった子は落ちました落ちました。

    内申が有り、某私立難関コースに合格した子も落ちました。
    結局は当日点だと強く実感しました。
    中学側の内申神話に惑わされ過ぎていると思います。
    意志を貫き、頑張った者勝ちだと思いました。

    • 返信が遅くなってごめんなさい。
      まさに内申点の問題点の核の部分だと思います。

      内申点に踊らされてしまうところがありますよね。
      内申点の基準が曖昧なままだと高校側も使い方が難しいですしね。

  • 内申点は無視していました。テストの点が良ければなんとかなるので、自分のやりたいようにやるのがいいですよね。別に遅刻しようが、授業中寝ようが、点取れればなんとかなります。結果ですから。

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