【高校受験】志望校を下げようと思ったときに考えなければいけないこと

受験日が近づくにつれて、志望校を下げようか迷い始める人が多いと思う。
親にも、学校の先生にも、塾に通っているなら塾の先生にも、いろいろ言われて分からなくなっている人も多いんじゃないだろうか。

私の塾での受験前、学校の三者面談が始まったくらいから、志望校を下げようか迷い始める生徒は多い。

私は高校受験をしていない。
塾の先生で、中学生を中心に教えているけれど、実は中高一貫校に通っていて、エスカレーター式に高校生になった。

大学受験も、第一志望の大学には入れなかった。
しかも、第一志望しか受験していなくて、センター利用で合格していた大学しかなかったから、そこに入学した。

入学した後も大学に行かずぷらぷら遊んでいるうちに4回も留年した。

そんな私が強く主張したいことは中学生はしっかり勉強した方がいいってこと。
お前に言われたくないって思うかもしれないけど、本気でやっておけばよかったって今は思っている。

今日は「志望校下げようかな…」って思った時に確認して欲しいことを書いてみようと思う。

いつのまにか「逃げ」になっていないか。

無責任に第一志望を下げるな!などとは言わない
高校受験は浪人という選択は(ほぼ)ないし、家庭の金銭的事情もある。
公立が第一志望なら、今までの内申点をとってこなかった自分の責任もある。

ただ、もう絶対100%合格みたいな学校に志望校を下げてしまうのはどうなのだろう。
「前期入試で終わらせて友達と遊びたいから」とか「受験のプレッシャーから解放されたいから」とか。
知らず知らずの内に、そういう誘惑から判断してしまっているかもしれない。

自分がどうなりたいかを真剣に考えて、その高校が最適なのかをもう一度省みたほうがいい。

大学生になりたいの?専門に行きたいの?高卒で手に職をつけたいの?どこの大学に行きたいの?何になりたいの?それを考えないで、目の前の楽さに飛び込んでしまっていないだろうか。
「将来なりたいものは決まってません!」それは分かるけど、決まってないのになんで低い受験校を選択するんだろう。

決まってないなら、できるだけ高いところを選択するはず。
「決まってない」のではなくて「逃げている」のかもしれない。
いつのまにか弱気になっているのかもしれない。

白馬に乗った王子様のように、やりたいことが、ある日突然現れたりしない。
自分で選択して進んでいかなければいけない。

だから、志望校を下げるなとは言わないけど、「逃げ」になっていないかは確認したほうがいい。
私も、いつのまにか「逃げ」を選択してしまうことがあるから。

なんのために勉強するのか。

なんのために勉強しているのか、これってとても大事。
「勉強は自分のため」っていうのを本当に理解している子供はかなり少ないと思う。

世の中には、ある分野で才能をものすごく発揮している人がいる。
野球のイチローとか、レスリングの吉田沙保里とか、将棋の羽生善治とか。

あの人たちは才能もあって、その上に努力を重ねた人だから、本当にすごいことをやっている。

でも、そう言う人たちしか活躍できない世の中じゃ困る。

私には卓越したスポーツの才能も、学習能力もない。
かといって人一倍努力できるわけでもない。
絵が上手いわけでもないし、音楽的感性が鋭いわけじゃない。

もし1000年前に生まれていたら、重税の課される農民側って感じ。
豊臣秀吉のように農民から這い上がることは絶対にできない。

でも、現代では勉強という分かりやすいツールで、出身や外見に関係なく平等に機会が与えられている。
だから、勉強って最強のツールと言える。

武者小路実篤っていう昔の作家の言葉に、「勉強 勉強 勉強 勉強のみよく奇跡を生む」っていうのがある。
確かに「勉強のみ」ってそりゃ言い過ぎだと思う。
スポーツで活躍する人だっているから。
でも、中学校3年生になって未だに何かの才能の覚醒を待っているの?

そういう何か一つの分野での尖った才能って持ってない人が多い。
ていうかそもそも才能は尖っているとは限らない。
いろんな能力がそこそこっていう人もいるんだし。

だから、しっかり自分の得意な分野を見定めて(間違っていてもいいから)、「選択」していかなきゃいけない。
高校生になるって、もうそういう年齢だと思う。

誰のために生きるか。

自分のためというモチベーションはとても大事だ。
人のために努力することは立派なことだけど、自分が幸せじゃないのに人を幸せにすることはできない。

家族も同じだと思う。

家族のために生きている人ってすごく多い。
お母さんを喜ばせたい気持ちはすごくわかるけれど、自分の人生だという自覚を持たないと、親の考えに逆らえない大人になっちゃう。

学校を決めるときも同じで、自分がどうしたいのかが一番大事。

だって、親はいろいろ口は出せるけど、子供を縛り付けて、引きずって学校に行かせることはできないんだから。
結局は自分の足で通うことになる。
自分の意思じゃなかったなんて不貞腐れても、誰も聞いちゃくれない。

見えない足かせを自分で作っているだけで、私たちはめちゃめちゃ自由で、別に明日からでもアメリカに行ってヒッチハイクやったっていいんだから。
「親がダメっていう」っていうのは、結局できない理由を親のせいにしているだけに見える。
少なくとも私にはそう思えてならない。

でも、もし親の意思に逆らうなら、それを訴えるだけの「何か」を示さないといけない。
嫌だと駄々をこねるだけではダメだ。
(ずっと駄々をこね続けるならそれはそれで「何か」を示したことになるかもしれないけど)

自分のために生きることが自立なのかもしれない。

自分で決めた結論なのか。

自分で決めた結論でなければ、どういう結末になっても納得はできない。
周りの意見を全く聞かないっていうのも困りものだけど、最後は自分で決めるしかない。

親が決めた学校に行くなら、そうすることを「自分で決める」必要がある。

なんとなく、親が言うから、自分の成績で余裕で行けるから、で高校を決めると、もはやつまらない人生を送っていることも自覚できなくなっちゃうよ。

周りの状況から考えて、こうした方が良さそう。っていう決め方をしてる子供は多いかもしれない。
でもそれは決めているようで決めていない。

自分で決めるというのは、自分の理想を描いてそれを実現しようとすること。

現状の不満は今までの自分の化身だということを忘れてはいけない。
その不満を消したいなら、自分で理想を描いて、実現するための努力を始めなければいけない。

自分自身に、「自分で決めた結論なのか」を自問することはとっても大切だ。

高校生活なんてたった3年

私は大学に8年間いた。

高校生活の約3倍。そう考えると恐ろしいことだ。

仮に高校受験でチャレンジして落ちたとしよう。
それが示すのは、「今からの3年間をどこで過ごすか」である。
これをどう捉えるかは人それぞれだけど、みんな深刻に考えすぎな気もする。
たった3年間じゃないか。

私は社会人になってから、大学どこですかって聞かれたことはあっても、高校どこですか?なんて聞かれたことないよ。
高校なんて通過点の通過点にすぎない。
もちろんその通過点がある程度大事なことは承知しているけど、最後は自分である。

高校行かなくても、大学に行くことはできる。

大学行かなくても働くことはできる。

働いてなくても正直に生きることはできる。

常々思うことがある。
過去は変えられないけど、これからは変えられる。

受験の不合格の「価値」を決めるのはこれからの自分だ。
受験で不合格だったことを「価値あるもの」として話すことができるかは、これからの自分にかかっている。

合格すればなんでも成功ってわけじゃない。
入り口よりも出口が大事なのだ。

結局最後は「納得」して進めるか

結論は「納得」して「進む」ことができればなんでもいいってこと。
とにかく、ふて腐れたまま高校生にならないこと。

今までの書いてきたことだと、「チャレンジしろ!」っていうふうに聞こえるかもしれないけど、そんなことはない。
チャレンジしないならチャレンジしないってちゃんと決めて、今後どうして行くかを考えようって言っている。
高校卒業後の人生の方が長いのは間違いない。

今の自分は今までの自分の積み重ねだから、急に変えようって言ってもそうはいかない。
諦めなきゃいけないことにもなるかもしれない。

でも、3年後の自分は今からの自分が作るんだから、今回志望校を下げるなら、大学受験では志望校を下げないで頑張って欲しい。

「志望校を下げようかな」って思った時に考えて欲しいことでした。

「納得」して進んでください。応援しています。